中村弥六(なかむらやろく)    安政元年〜昭和4年7月7日(1854-1929)

    日本初の林学者・政治家。号、背水。父、高遠藩儒者中村元起(次男/四男説あり)。長野県伊那市(旧高遠町)出身。明治2年(1869)江戸に出て安井息軒に師事。翌年開成学校に入学。卒業後、東京外国語学校教師を経て大阪師範学校教師となるが明治11年(1878)廃校にともない内務省地理局に入る。明治12年(1879)ドイツ留学。帰国後、大蔵省を経由し、農商務省に入るが、のち東京山林学校教授になる。山林学校が東京帝国大学農科大学に昇格したのを機に農商務省に戻る。明治21年(1888)司法次官。林学博士。明治23年(1890)の第1回衆議院議員総選挙に当選し衆議院議員となる。伊奈電気軌道会社取締役。元首相原敬の暗殺犯中岡艮一(なかおかこんいち)の大叔父にあたる。正五位勲三等。76歳。
※ 福島県五色沼の弥六沼(やろくぬま)は、中村弥六の名から採ったとされる。

墓は、谷中霊園 甲8号6側。父、中村元起墓の数基先の木の下。正面「背水中村弥六/妻 幸子 慕」。