中村鶴蔵(なかむらつるぞう)・2代目    天保2年〜明治23年(1831-1890)

    歌舞伎役者。幼名、房二郎。姓、鶴岡。初名、姉川鬼久蔵。前名、中村雁八。俳名、三口。屋号、舞鶴屋。父、江戸山谷団子店主鶴岡嘉助。幼児より芝居を好み、大阪の姉川仲蔵に入門、姉川鬼久蔵を名乗る。安政3年(1856)ころ江戸に移り、中村鶴蔵の門に入り、中村雁八と名乗る。慶応3年(1867)守田座「当九字成着長」に2代目中村鶴蔵を襲名。明治20年(1887)天覧劇「六歌山」の三味線で好評を得る。明治23年(1890)京都の祇園館に勤める。東京に戻り、歌舞伎座「相馬平氏二代譚」が最後の舞台となる。60歳。

墓は、天王寺墓地。ぎんなん横丁近く。正面「中村家代々之墓」。碑の書は歌舞伎座を創設するのに参画した福地源一郎(1841-1906)。