那須資弥(なすすけみつ)    嘉永5年〜貞享4年6月25日(1628-1687)

    下野烏山藩初代藩主。父、青山利長。養父、那須資景。従五位下。承応元年(1652)2月18日那須資景の養子となる。天和元年(1861)烏山城主となる。天和3年(1683)陸奥弘前藩10万石津軽家第4代当主津軽信政の三男資徳を養子とする。このとき次男資寛の存在を隠していたことから後に改易となる。姉の「お楽の方(宝樹院)」は、徳川家光の側室で、第4代将軍徳川家綱(1641-1680)の生母。

墓は、養寿院谷中墓地。乙8号2側の標識のある舗装通路を渡り、左奥正面の大きな五輪塔。