那須資興(なすすけおき) ?〜明治3年7月8日(?-1870)
寄合旗本・那須家10代当主。父、丹後国宮津藩第6代藩主の本荘宗秀(松平宗秀とも)(四男)。9代当主那須資礼は、津軽直記順朝の娘を養女とし、養子に本荘宗秀の子を迎え資興とした。維新後、集議少主典。
那須資穀(なすすけよし) ?〜昭和10年2月14日(?-1935)
那須家11代当主。父、那須資興。母、津軽順朝の娘。一時期東京の津軽屋敷に同居して、のち一家で弘前へ移住した。
墓は、養寿院谷中墓地。乙8号3側前を入る。正面「明治三庚午七月初八日/大達院殿円浄道本大居士/唯心院殿資穀覚浄居士/昭和十年二月十四日」。