那須資礼(なすすけひろ)     寛政7年1月2日〜文久元年9月5日(1795-1861)

    旗本・那須家9代当主。初名、義貫。通称、鉄五郎・豊太郎・与一。号、聴松入道。父、佐竹左近義方(10男)。文化6年(1809)交代寄合那須資明の養子となり、その娘を娶る。文化8年(1811)養父資明の隠居に伴い、家督相続。文化9年(1812)将軍徳川家斉に拝謁。万延元年(1860)隠居し、養子那須資興に家督を譲る。歌人千種有功の門人。67歳。

※ 佐竹義方: 出羽国主佐竹右京太夫源朝臣義和伯父。出羽国久保田藩第7代藩主佐竹義明の二男。同8代藩主佐竹義敦の弟。

※ 7男という資料があるが、墓誌に従った。また、歿日に8日とする資料があるが、墓誌に従った。

墓は、養寿院谷中墓地。乙8号3側前を入る。正面「文久元年/聴松院殿一夢玄空大居士/九月初五日 霊位」。