二階盛(にかいさかり)     明治44年〜平成17年7月31日(1911-2005)

    日本初の超高層ビル「霞が関ビル」を作った人。父、二階功。早稲田大学理工学部建築学科卒業。戦前は警視庁に勤務。南方戦線に出征したが、生き延び復員。30代半ばになって鹿島建設に入社。50歳のとき「霞が関ビル」プロジェクトが発足。新しい発想の必要を感じ、35歳以下の技術者を150人ほど集めた俗称「二階学校」を構成した。ニューヨーク マンハッタンを視察し、また、関東大震災で倒壊しなかった寛永寺の五重塔を調査し、柔構造のビルとすることにした。NHKの「プロジェクトX 挑戦者たち 熱き心、炎のごとく 霞が関ビル 超高層への果てなき闘い/地震列島 日本の革命技術」の主人公。勲三等旭日中綬章。95歳。

墓は、寛永寺谷中墓地。徳川慶喜墓裏の新規分譲地区。写真背後の緑色の部分が、徳川慶喜墓の裏側の塀。正面「二階家」。「建徳院秀山盛烈居士」。平成5年9月山口県大島郡大島町の浄蓮寺から改葬。