小花冬吉(おばなふゆきち) 安政2年11月10日〜昭和9年3月8日(1855-1934)
我が国鉱業界の父。父、小花作助(三男)。東京出身。明治6年(1873)8月工部寮に入り、地震学の祖といわれるイギリス人教師ミルンに鉱山冶金学を学ぶ。明治12年(1879)11月工部大学校冶金科第1回卒業生。政府の命令で明治13年(1880)イギリスに留学、4年間冶金学を研究。明治16年(1883)5月帰国して、工部省鉱山局鉱山課に出仕。広島県御用掛兼務。明治20年(1887)5月フランスに留学し、製錬技術を学ぶ。秋田・札幌鉱山監督局長。明治26年(1893)広島県技師として再度フランスに派遣される。明治29年(1896)製鉄所技師として欧州並に米国に差遣される。明治32年(1899)工学博士。官営八幡製鉄所技師・初代製銑部長。明治43年(1910)東京帝国大学工科大学教授。同年10月秋田鉱山専門学校が創立されると初代校長となる。4年の勤務を経て退官。その後は小石川の住居で悠々自適の生活を送る。脳溢血で没する。79歳。
※ 生誕日は、多くの資料と異なるが、墓誌を採用した。
墓は、谷中霊園 乙3号3側。正面「小花冬吉一家墓」。秋田大学に胸像がある。