追手風元吉(おいてかぜもときち)・10代/清水川元吉(しみずがわもときち)    明治33年1月13日〜昭和42年7月5日(1900-1967)

    大関。本名、長尾米作。青森県北津軽郡五所川原出身。18歳で2代小錦八十吉の二十山部屋に入門。大正12年(1923)1月場所入幕。大正7年(1918)序の口。大正15年(1926)小結まで昇進するがトラブルを起こし破門となる。その後、父親などの嘆願により昭和3年(1928)10月場所に復帰。昭和7年(1932)大関に昇進。3度目の優勝後、怪我をして横綱昇進を逃した。昭和12年(1937)引退し、二十山部屋から分家独立して追手風部屋を興した。昭和39年(1964)定年間近で部屋を閉じた。

墓は、寛永寺第一霊園(上野桜木1-16)。今東光書の顕彰碑が隣接している。「興風院角翁徹道居士」。