奥 勝重(おくかつしげ) 嘉永2年〜明治34年12月6日(1849-1901)
我が国コルク栓の開祖。幼名、宗悟。伊賀国阿山郡山田村(奈良県)出身。戊辰の役では、新政府軍として藤堂侯に従う。維新後、岸田吟香の目薬「精リ水」を発売したが、栓が未完成で輸送中に液漏れすることがあった。勝重は、研究の末居留地の外国人や船員が捨てる洋酒のコルク栓を削って目薬の栓とした。これが、我が国で最初のコルク栓とされる。のち、コルク栓を製造販売する。53歳。
墓は、谷中霊園 甲新13号16側。正面「奥勝重之墓」。隣接して顕彰碑がある。碑の篆額は、ポルトガル公使ドクトル トーマス リベイロ。ポルトガルからコルク材を輸入したのかも知れない。なお、顕彰碑と墓の間にコルクの原料となる樫の木が植えられている。