大岡越前(おおおかえちぜん)    延宝5年〜宝暦元年(1677-1751)

    江戸中期の名奉行。本名、大岡忠相(おおおかただすけ)。江戸出身。父、旗本大岡美濃守忠高(四男)。伊勢山田奉行期の公正な裁きを徳川吉宗に認められ、吉宗が将軍となると享保2年(1717)江戸町奉行、越前守となる。元文元年(1736)寺社奉行。寛延元年(1748)三河国西大平(岡崎市)の大名となる。江戸に町火消しのシステムを作ったことでも有名。墓は神奈川県茅ヶ崎市の浄見寺。