大島高任(おおしまたかとう)    文政9年5月11日〜明治34年3月29日(1826-1901)

    日本近代製鉄業の父。名、高任。通称、文治・総左衛門・周禎。父、盛岡藩医大島周意(長男)。南部藩盛岡出身。天保13年(1842)江戸で箕作秋坪の師であり養父の箕作阮甫(みつくりげんぽ)・坪井信道(つぼいしんどう)らに蘭学を、弘化3年(1848)藩命で長崎に留学し、西洋砲術・採鉱・精錬法を高島浅五郎に学ぶ。また、肥後の池辺啓大に造弾砲術を学ぶ。嘉永3年(1850)大和藩主の依頼により廿拇ホウイツッツエル砲一門を鋳て、破裂弾発射法を教授。嘉永4年(1851)勘定奉行格鉄砲方となり江戸で兵学砲術を研究。嘉永6年(1853)水戸の藤田東湖の知遇を受け、那珂湊に反射炉旋盤を造り、モルチール大砲を鋳造。安政4年(1858)12月1日釜石鉱山に日本初の洋式高炉を築いた。万延元年(1860)蕃書調所出役教授。慶応元年(1865)藩命で小坂銀山を開坑。その後明治維新で新政府に出仕。明治2年(1869)大学大教授・鉱山権正。明治4年(1871)岩倉具視の使節団に木戸孝允(きどたかよし:桂小五郎)、大久保利通(おおくぼとしみち)らとともに随行して欧米の鉱業を視察。その後、明治7年(1874)釜石に国立釜石製鉄所を設立するなど日本の鉱業近代化に貢献した。明治23年(1890)日本鉱業会会長。正四位勲三等。76歳。著書:「鉄銃製造御用中心覚え概略」。

※ 「鉄の記念日」を12月1日としたゆえんでもある。

墓は、谷中霊園乙7号1側。正面「大量院殿智順良鑑大居士」。ひょうたん横丁を背にしている。