男谷忠友(おたにただとも)    弘化3年〜大正5年9月6日(1846-1916)

    明治期の外務省官僚。父、江戸後期の旗本・剣客であった男谷精一郎信友(下総守、1798?-1864)で、「幕末の剣聖」と言われ、勝海舟の従兄(精一郎の父の弟勝小吉の子)にあたる。父精一郎は江戸に直心影流の道場を開いていた。勝海舟は門弟でもあった。忠友は維新後は太政官に勤務した。明治13年3月25日から明治14年11月26日(1880-1881)内閣権少書記官。71歳。

墓は、甲6号16側。ひょうたん横丁に近い。正面「男谷忠友夫妻之墓」。