尾関隼人(おぜきはやと)/尾関当補     安永8年8月3日〜文政12年7月29日(1779-1829)

    館林藩家老・尾関隼人当遵の父。名、当補。通称、隼人。父、尾関当官(長男)。母、根岸氏。正室、内藤氏。代々松平家に仕え、上州館林に住む。18歳のとき番師として仕え、上番を歴任。のち攝庭守。文政5年(1822)700石となる。のち1200石を賜る。

※ 尾関隼人(1802-1868): 名は当遵(まさゆき)。通称は、父と同じ隼人。館林から転封となった石見藩家老。藩主松平武聡が病弱で、代わって鳥羽伏見の役で幕府側としての出兵を指揮し大敗。藩自体の処分を受けるところ、明治元年4月19日京都本圀寺で責任を取り自刃し謝罪して藩は赦される。

墓は、善性寺墓地(東日暮里5-41-14)。山門より入り本堂右側の墓地。石橋湛山墓前を右に入り、10m程を右に入った突き当りの左側。正面「尾関隼人当補之墓」。「良宏院」。