相良剛造(さがらごうぞう)    ?〜明治33年5月9日(?-1900)

    東京株式取引所理事。大隈重信の姉相良妙子の子。つまり大隈重信の甥。夫人は、相良好子。「剛入院遠造日豁居士」。

相良好子(さがらよしこ)     嘉永5年?〜昭和10年4月29日(1852?-1935)

     佐賀錦模様織りの考案者。相良剛造と結婚。姑の相良妙子から好子に佐賀錦が伝授され、のち、佐賀錦模様織りを考案。明治期に衰退中絶したものを、大隈重信夫人綾子と、相良好子によって再興され、明治43年(1910)ロンドンで開催された「日英大博覧会」に「佐賀錦」を出品。その優美さが称賛された。 「鹿島錦」の呼び名がこの博覧会出展で「佐賀錦」に変わったとされる。 83歳。「遠事院妙法日剛大姉」。

墓は、谷中霊園 乙7号3側。「相良妙子之墓」に向かい合う。正面「相良家之墓」。