西園寺公成(さいおんじきんなる)    天保6年〜明治37年11月7日(1835-1904)

    大阪府大参事。愛媛県宇和島出身。宇和島藩小姓頭、目付役など歴任。藩主伊達宗城に従い伏見の役に従軍。堺浦フランス人を殺害した土佐藩士が切腹した際、検視役をした一人。明治3年(1870)大阪府大参事。のち伊達家家令、第一国立銀行・日本鉄道会社等の取締役を歴任。息子の西園寺亀次郎は、第一銀行 取締役・日本放送協会常務理事。長女の郷子は、穂積八束の先妻。
※ 西園寺家は、三条家・徳大寺家をはじめとする藤原北家支流の公家の一門で閑院流(かんいんりゅう)と呼ばれ、藤原道長の叔父・閑院大臣藤原公季に始まる。

西園寺正夫(さいおんじまさお)     明治42年?〜昭和63年3月22日(1909?-1988)

     三菱商事参与・日本ブロイラー社長。79歳。

墓は、谷中霊園 乙11号9側。正面「伊予 西園寺家累代之墓」。西園寺公成「雪江院殿公成自然居士」。西園寺正夫「大崎院寿徳正道居士」。