阪谷希一(さかたにきいち)    明治22年〜昭和32年11月6日(1889-1957)

    銀行家・植民地行政官僚。父、阪谷芳郎(長男)。東京出身。東京大学卒業。大正3年(1914)卒業して日本銀行に入り、本店・名古屋支店・ロンドン代理店勤務。のち日銀から転じ、関東庁事務次官・同財務課長を務めた。のち、拓務省で文書課長・拓相秘書官・殖産局長心得を歴任。昭和7年(1932)満州に渡り、満州国建国と共に、満州国総務司長・国務院総務庁次長を歴任後、満州中央銀行理事・満鉄理事兼産業部長・中国連合準備銀行顧問などを務める。昭和18年(1943)貴族院議員。昭和26年(1951)科学研究所長。従四位勲三等。68歳。

墓は、谷中霊園 乙11号2側。囲い塀の中。正面「パウロ阪谷希一 ここに眠る」。