猿渡常安(さるわたりつねやす/さるわたりじょうあん)    嘉永2年7月5日〜明治32年6月24日(1849-1899)

    医家。高島藩士菅沼豊八(二男)。長野県諏訪出身。猿渡盛雅の養子。神田で医院を開業。渋沢栄一の主治医で、王子の飛鳥山別邸において夫人千代がコレラに罹った際に診察に当たった。つづいてドイツ人医師 エルウィン・ベルツが治療にあたったが、手のほどこしようがなく、千代は翌日の夕方42歳で没した。51歳。

谷中霊園 甲2号10側。さくら通りに面する。正面「猿渡常安之墓」。