佐々木松夫(ささきまつお)     ?〜昭和30年?(?-1955?)

    「戦災者救済会」の会長・忍田圃(上野田圃)の耕作リーダーの一人。昭和20年(1945)9月復員。焼土の中に浮浪の多きを見、食糧危機の渦中にあって大志を抱き、「戦災者救済会」を興す。当局に窮状を訴えると共に、千束小学校・西本願寺に4500人余りを収容、食糧を与え、教室の補修、旧軍資材の解体によるバラックの建設、不忍池の水田化と収穫祭の実施、自動車修理、児童吹奏楽団の結成など、物心両面での貢献をする。くわえて昭和22年(1947)のキティ台風での被災者2700余名を収容救出にも尽力する。

墓は、大行寺墓地(谷中6-1-13)。山門を入りすぐ左へ入って右側。正面「佐々木家之墓」。総理大臣鳩山一郎の名前も見られる顕彰碑(昭和31年)がある。また、無縁戦災者を祀った「戦災者之墓」が同域にある。建立者名に佐々木松夫の名がある。墓誌なし。