佐々木政吉(ささきせいきち/まさきち)    安政2年11月11日〜昭和14年7月11日(1855-1939)

    杏雲堂院長・医学博士。本姓、中田政吉。東京本所出身。文久3年(1863)9歳で従兄の佐々木東洋の養嗣子となる。東京帝国大学卒業。明治12年(1879)自費でドイツのベルリン大学に留学し、病理学を研究。明治18年(1885)帰国し東京大学医科大学講師、翌年教授となる。脚気病審理委員・医術開業試験委員。教授の傍ら付属病院長。明治21年(1888)帝国大学評議員、医学博士。明治23年(1890-1892)ロベルト・コッホがツベルクリンを発明すると、明治24年(1891)この調査のため再び留学。明治26年(1893)東京大学内科学第一講座を担当。明治28年(1895)辞し、第2代杏雲堂院長として一般内科患者を診療。大正12年(1923)まで診療にあたったのち、佐々木隆興(のち養子)に院長を譲る。この間、明治31年(1898)神奈川県平塚に分院として結核診療所を開設。従六位勲六等。85歳。

墓は、谷中霊園 甲9号16側。正面「佐々木家之墓」。佐々木東洋に合祀。結核・癌の研究の先駆者である佐々木隆興(1878-1966)も合祀。」。佐々木洋興も合祀。