佐々木支陰(ささきしいん)    天保2年〜明治17年4月23日(1831-1884)

    儒者・詩人。名、顕文。通称、循輔。父、佐々木蘭斎(長男)。静岡藩士。昌平校で学ぶ。詩文書・法・経史をに優れる。門下に三菱銀行頭取・鐘淵紡績などの重役がいる。市議会議員。日本橋にあった京橋の親柱に「京橋」と「きやうはし」の字は、佐々木支陰によるもので、現在は傍に記念碑として残されている。「きようし」と濁らないのは、川が濁らないようにという願いからだそうだ。また、明治5年(1872)浅草西福寺境内に創設された公立小学校新堀小学校(現、育英小学校)の初代校長でもある。ちなみに、23区内では最古である。また、この時期に寺子屋は廃止となった。54歳。

墓は、谷中霊園 乙2号8側。正面「佐々木支陰/別所鐘子 之墓」。