佐々木荘助(ささきそうすけ)    天保6年〜明治25年4月7日(1835-1892)

    内国通運会社長。本姓、長谷部。吉村甚兵衛の三都定飛脚問屋和泉屋の手代で、前島密と官営郵便との競合に対して飛脚屋総代として交渉にあたった。官営郵便とのすみ分けをするため、吉村甚兵衛を説得し飛脚システムを改革。泉屋内に陸運元会社を設立し、吉村甚兵衛が頭取、荘助は副頭取となった。その後規模拡大に伴い、明治8年(1875)内国通運会社と改名。明治14年(1881)に甚兵衛が社長を辞めたのち、佐々木荘助が社長を継いだ。明治25年(1892)経営不振の責任をとり拳銃自殺をした。59歳。会社は、その後紆余曲折を経て日本通運となる。59歳。

墓は、谷中霊園 乙4号2側。正面「故内国通運会社長佐々木荘助墓」。「大徳院長誉通運荘寿居士」。