佐藤立軒(さとうりっけん)    文政5年6月〜明治18年6月18日(1822-1885)

    儒学者・旧太政官権少史。父、佐藤一斎(三男)。次女、士子(ことこ)は、吉田茂の養父・吉田健三の夫人。東京八重洲出身。名、?・光。通称、新九郎。号、立軒。長男は行状が良くなく他家を継ぎ、二男は夭折したので家を継ぐ。幼くして水戸の青山拙斎に師事。戻って父について学ぶ。安政6年(1859)家を継ぎ、幕府儒官、東叡山宮侍読。文久元年(1861)小普請に入り、文久3年(1863)講武所奉行支配。明治元年(1868)一斎の門人島団右衛門の推薦により太政官権史のち権少史。明治5年(1872)ころ正院11等出仕。明治8年(1875)退官し、墨田向島小梅村に「詩灌園」を開く。著書:「詩経輯疏」、「立軒文集」など。64歳。

墓は、天王寺墓地。千人塚前通路沿い中程北側。「立誠先生佐藤府君之墓」。「立誠院」。