佐藤三吉(さとうさんきち)    安政4年〜昭和20年9月28日(1857-1945)

    外科医・東京大学名誉教授。父、大垣藩士佐藤只五郎(3男)。岐阜県出身。明治3年(1870)父を亡くし、義兄安藤就高の援助を受け東京の司馬凌海塾へ入る。東京医学校で外科学を専攻する。明治15年(1882)東京帝国江大学医科大学雇。明治16年(1883-1887) 青山胤通とともにドイツ留学。明治20年(1887)帝国大学教授。明治24年(1891)医学博士。明治26年(1893)医科大学病院長を兼任。明治34年(1901)医科大学教授。明治37年(1904-1905)欧米留学。明治42年(1909)学士院会員。大正7年(1918)医科大学医学部長・医科大学長。大正10年(1921)退官。東京大学名誉教授。大正11年(1922)貴族院議員。正一位勲一等。明治30年(1897)正岡子規の手術をしたことでも知られる。

墓は、天王寺墓地。朝倉文夫墓手前の土井家墓域の向い側。