佐藤 佐(さとうたすく) 安政4年〜大正8年3月3日(1857-1919)
医師・佐藤尚中の養子。幼名、虎三。父、佐倉藩士井上信利(三男)。佐藤進の義弟。千葉県出身。佐藤尚中の養子となり、その三女楽子(昭和24年4月2日歿)を娶る、佐藤佐と名乗り、分家して一家を創る。明治15年(1882)ドイツおよびオーストリアに留学。明治19年(1886)帰国して養父佐藤尚中の経営する順天堂病院の副院長となる。明治31年(1898)内務省に出仕し、侍医。明治38年(1905)以来、に大日本薬局方調査会委員。63歳。
※ 佐藤進(1875-1909): 男爵。佐藤尚中の養嗣子となり、順天堂を継ぐ。明治2年(1869)ベルリン大学に留学。東洋人として初の医学画家世の学位を取得。順天堂医院第2代院長。西南の役で陸軍軍医監として活躍。日清・日露戦争で陸軍軍医総監。
佐藤 亨(さとうとうる) 明治19年〜昭和42年10月7日(1886-1967)
医師・医学博士。父、佐藤佐(長男)。東京出身。東大病理学助手・伝染病研究所・三浦内科副手を歴任。大正12年(1923)ドイツ留学。昭和6年(1931)医学博士となる。順天堂病院医師。妻は、東京物理学校数学教師酒井忠量の長女圭子(平成11年2月22日歿)。80歳。
墓は、谷中霊園 乙8号4側。正面「佐藤家之墓」。