幕末の仙台藩士・明治大正期の警察官僚・青森県知事。父、佐和修平(二男)。宮城県出身。幼児期藩校養賢堂に学ぶ。明治3年(1870)弾正吏。太政官少書記官(明治11年1月7日〜明治13年3月5日)。明治12年(1879)2月13日大警視川路利良を団長とする日本の警察関係者が、欧米に向けてパリ警察などの視察旅行に出発し、随行員として同行。佐和正が、明治13年(1880)8月21日帰国後に「航西日乗」としてまとめた。明治18年(1885)伊藤博文特命大使に随って清国に派遣となる。明治22年(1889)内務書記官となり、ついで青森県知事(明治22年12月26日〜明治29年8月12日)。明治30年(1897)錦鶏間祗候。日本赤十字理事。養女泰は、伊達宗城の娘(のち阪田九郎の妻)。従三位勲二等。75歳。