関場忠武(せきばただたけ) 天保9年1月17日〜大正12年1月8日(1838-1923)
会津藩士「先鋒隊」隊士。父、関場春武(二男)。子に関場不二彦がいる。御徒士の9両3人扶持の会津藩士。藩主松平容保が京都守護職時に京都に随従、在京都会津軍の「先鋒隊」となる。のち、会津で「朱雀隊」として戦った。明治初頭青森県吏。のち、内務・農商務省両省歴任。明治20年(1887)致仕。84歳。著書:「浮世絵編年史」、「會津十六士傳」、「田中玄清事蹟」。
関場不二彦(せきばふじひこ) 慶応元年9月19日〜昭和14年8月25日(1865-1939)
明治大正期の医師・江木悦子の先夫。父、関場忠武。会津若松出身。明治3年(1870)家族に従い大湊に移住。のち東京に出て外国語学校でドイツ語を学ぶ。のち東京帝国大学医学部に進み、外科教師のドイツ人医師スクリバに師事。明治22年(1889)卒業。その後も同学第一医院外科で助手を勤める。この時期に関清英の下に身を寄せていた関悦子と結婚(のち離婚)。明治25年(1892)27歳で公立札幌病院長。明治31年(1898)欧米に留学、翌年帰国。札幌に北辰病院開設。大正9年(1920)医学博士。大正15年(1926)道医師会長に就任し、札幌市議会副議長をもつとめる。著書:「アイヌ医事談」、「腹膜結核及び剖腹術」。
※ 関悦子:関ませ子の姉。上記の結婚で、一度は関場悦子となる。のち江木保男と再婚。ませ子は、江木保男の先妻蝶子との子江木定男と結婚。どちらも江木姓となる。
歳。
墓は、谷中霊園 甲4号3側。正面「関場家之墓」。忠武:「日無垢心庵浄香梅華居士」。忠武妻(名不詳):大正13年3月25日没。略歴は、関場不二彦誌。不二彦:「貫学院仁誉杏翁理堂居士」。