渋沢正雄(しぶさわまさお)    明治21年〜昭和17年9月10日(1888-1942)

    (株)石川島飛行機初代社長・石川島重工業常務。父、渋沢栄一(三男)。大正4年(1915)第一銀行に入行。外遊し経済事情を学んで帰国し、渋沢栄一の偉業を継ぐ。石川島自動車・昭和鋼管社長。石川島造船専務。昭和5年(1930)9月「株式会社石川島飛行機製作所」を創立。第2代社長は兄の渋沢武之助。初代代表取締役社長に渋沢正雄が就任。秩父鉄道・日本製鉄・日満鉄鋼販売・日本鋼材販売各社長並びに常務。日本鋼管販売・日本鉄鋼原料統制各取締役。日本煉瓦・石城耐火煉瓦・日本鋼製建具各監査役。八幡製鉄所長。55歳。

渋沢正一(しぶさわしょういち)     大正8年〜昭和56年12月8日(1919-1981)

日本製鉄副社長。父、渋沢正雄。夫人は、祖父渋沢栄一と札幌麦酒再建に辣腕を揮った植村澄三郎(うえむらちょうざぶろう:1862-1941)の孫和子(植村甲午郎の娘)。61歳。

墓は、谷中霊園 乙11号2側。囲い塀の中。正面「渋沢正雄家之墓」。下の写真は、渋沢武之助墓。