渋谷米太郎(しぶやよねたろう) 明治10年〜昭和46年9月28日(1877-1971)
国際電気通信取締役・三菱ふそう自動車会長。父、渋谷五右衛門(四男)。山形県鶴岡市(旧藤島町)出身。荘内中学校から旧制第二高等学校卒業。明治36年(1903)東京帝国大学英法科卒業。三菱合資会社(三菱商事)に入社。明治44年(1911)香港・神戸各支店長。大正8年(1919)三菱商事常務取締役、ほか日満マグネシュウムなど2社の役員を兼任。大正9年(1920)三菱内燃機常務取締役。昭和3年(1928)三菱航空機と改称・同年6月フランス政府から「レジョン・ドヌール勲章」が授与される。戦後は、三菱重工業・理研金属の各監査役。その後、国際電気通信取締役(KDD)・三菱ふそう自動車会長等を歴任。昭和44年(1969)鶴岡市名誉市民。94歳。
墓は、寛永寺谷中墓地。乙13号右側下、藤岡市助墓の並び。正面「渋谷家之墓」。