幕末明治期の建築家・清水建設の祖2代目。初名、藤沢清七のち清矩(きよのり)。幼名、文七。父、小間物商の北市屋清八(次男)。越中砺波(富山)出身。20歳ころ江戸に出て、大工初代清水喜助(1781-1859)に弟子入り、のちその娘婿となる。先代の洋風建築の様式や技術を学び、明治元年(1868)築地ホテル(外国人用旅館)・明治5年(1872)日本初の銀行建築第一国立銀行(三井組ハウス)(現在は「みずほ銀行」壁面に記念のレリーフが残る)・明治7年(1874)為替バンク三井組など大型建築を手がけた。これらは、2代目清水喜助の3大建築と言われ、これら独創的な和洋折衷様式の建物は、錦絵に描かれたり、多くの見物人が訪れるなど、文明開化の象徴となった。後継は、養子清水満之助(1851?-1887)。4代目は、清水釘吉。