白根竹介(しらねたけすけ) 明治16年5月25日〜昭和32年3月5日(1883-1957)
第24代埼玉県知事。父、南埼玉郡長白根勝次郎という地方官僚白根勝次郎(長男)。白根松介は、従弟。祖父は、白根多助。明治41年(1908)東京帝国大学法科大学政治学科卒業。内務省出仕、静岡県属・静岡磐田郡長、警視・山梨県警察部長・山形県警察部長、岐阜・京都・東京の各府県内務部長。のち、岐阜・石川・富山の県知事を歴任後、昭和4年(1929)2月6日〜7月5日の5か月間埼玉知事に就任した。その後静岡・広島・兵庫県知事となる。昭和9年(1934)退官。昭和10年(1935)岡田啓介内閣の書記官長・内閣審議官文政審議官・資源審議会委員・文書官長。昭和11年(1936)勅選貴族院議員。小野田セメント・太平洋海上火災取締役。戦後は、藤田組専務取締役・播丹鉄道社長・共和車両工業相談役を歴任。従三位勲二等。祖父は第2代埼玉県令白根多助。
墓は、谷中霊園 乙10号左6側。正面「白根家之墓」。「雄峰院節堂慈竹居士」。