曽禰達蔵(そねたつぞう)    嘉永5年11月24日〜昭和12年12月6日(1852-1937)

    近代建築設計者。辰野金吾・佐立七次郎と共に「小樽明治三大建築家」と呼ばれる。旧唐津藩士。明治12年(1897)第一回工部大学校造家学部卒業生。ジョサイア・コンドルの弟子。海軍鎮守府建築委員を経て明治23年(1890-1906)三菱に勤務し、陸軍から払い下げを受けた丸の内の測量・地質調査を実施、丸の内の第1号館〜第7号館を手がける。明治40年(1907)中条精一郎と丸の内に「曽根中条建築事務所」を設立する。代表作:三井住友銀行小樽支店、慶応大学図書館、東京海上ビル、日本郵船ビルなど。夫人は、総理大臣高橋是清の実妹。長女ミサは、法制局長官の山川端夫夫人。長男曽禰武は、物理学博士・開成高校校長・立教大学教授。次女は、株式会社東洋電機元社長の上遠野氏夫人。次男の妻は、岩倉具視の孫。三男曽禰益は、外交官・旧民社党書記長。その夫人春子は、東急創始者 五島慶太の一人娘。三女は、理学博士・阪大教授・文化勲章受章者の仁田勇夫人。

墓は、甲4号5側。さくら通りより通路正面。正面「曽禰家之墓」。