山川端夫(やまかわただお) 明治6年12月15日〜昭和37年3月2日(1873-1962)
加藤高明内閣および第1次若槻内閣法制局長官・貴族院議員。長崎出身。明治31年(1898)7月東京帝国大学法科大学卒業。明治32年(1899)3月海軍省参事官。明治40年(1907)第2回万国平和会議に出席。大正8年(1919)講和全権委員随行・法学博士。大正9年(1920)臨時平和条約事務局第1部長兼外務省条約局長。大正14年(1925-1927)法制局長官。昭和元年(1926-1946)貴族院議員。昭和4年(1929)ロンドン海軍会議全権委員随員。昭和18年(1943-1945)外務省顧問。昭和21年(1946-1950)公職追放。昭和30年(1955)財団法人松浦史料博物館設立に尽力し初代理事長となる。山川家は、平戸藩家臣で、平戸藩松浦家の資料散逸等を恐れ、博物館設立に奔走した。従三位勲一等。90歳。夫人は、曽禰達蔵の長女ミサ。
墓は、谷中霊園 甲2号4側。さくら通り側。雲井龍雄碑うら。正面「山川家之墓」。