杉本忠温(すぎもとただあつ)    ?〜弘化4年1月7日(?-1847)

    幕府官医。杉本良敬の孫。逸話としては、文政九年(1826)10月22日江戸在府中の出羽米沢藩の第11代藩主上杉斉定(1788-1839)がひどい病気となり幕府医官杉本忠温が診察するも回復せず、江戸で開業しているシーボルトの弟子湊長安が治療し直ちに回復したという。これを機に西洋医学が認知され、医学校好生堂でも、西洋医学の研究が盛んになったという。

墓は、瑞輪寺墓地(谷中4-2-5)。鐘楼右脇通路を入り、八角井戸の右側通路に入り、約30m、垣根囲いの中。正面「持法院殿法眼鷲山日佳大居士/弘化四年一月七日」。