鈴木鵞湖(すずきがこ)    文化13年〜明治3年5月22日(1816-1870)

    日本画家。名、雄。字、雄飛。幼名、筆三。通称、漸造。号、鵞湖、一鶯、我古山人、水雲山房、東台山麓。千葉県船橋出身。12歳でえ江戸に出て、松月という市井画工の門下となる。ほぼ独学で和漢各派の画風を学び、のち谷文晁・相沢石湖に師事。渡辺崋山・椿椿山・高久隆古の影響があった。御徒町に住み、大沼沈山・福島柳圃・服部波山らの下谷文人達と交流。嘉永3年(1850)より十数年にわたり歴史人物を研究。文人画以外にも、水墨画、花鳥画、風俗画などを描いたが、花鳥は得意ではなかった。近代美術の基礎を築いた。門人に鈴木拳山(1842-1915)など。55歳。二男に石井鼎湖。孫に洋画家石井柏亭・彫刻家石井鶴三がいる。代表作の1つ「十六羅漢像図」は、千葉県指定文化財。作品:「日の出に鶴図」、「富士昇竜図」、「両国橋納涼図」など。

※ 石井鼎湖(1848-1897):日本画家。名、貞次郎。幕末にフランス語を学び、明治に入り大蔵省で公債証書や紙幣の図案を描く。洋画も学ぶ。

墓は、一乗寺墓地(谷中1-6-1)。墓地に入り、そのまま真っすぐに進み、塀越しに大行寺の門が見える辺りの塀際。正面「鷲湖鈴木先生/孺人吉永氏 之墓」。「寂照院鷲湖日悠居士」。