◆香舎春龍(しゅきょうしゃしゅんりゅう) ・・・◆は草冠に”取”     享保6年〜寛政11年(1721-1799)

    香道米川流で名高い浄土宗の僧。名、春龍。字、直信。号、広阿・曜誉。川越出身。父、柁塚知政。母、土屋氏。代々川越城主秋元候の家臣。享保6年(1721)川越に生まれる。14歳で江戸浅草寿松院に入り義龍に師事。寛延2年(1749)香衣を着るまでに昇進。香道を愛し米川常白に師事。また賀茂真淵にも入門する。明和7年(1770)引退し風月自娯に過ごす。庵で香道を教えはじめたが、春龍の熱心な教授に加えて准后公遵法親王により賜った庵室教場「◆香舎」の命名揮毫により評判が広まり多くの門弟をもち、大名家に米川流を広める。米川流正伝ではないとの批判に対して新しく割飾りを考案するなどして、春龍の香道は米川新流といわれることになった。寛政7年(1795)余生短しとして壽蔵(生前にお墓をつくること)植石する。著書:「梅のしるべ」、「百千鳥」、「香道峰の月」など。

碑は天王寺境内。大仏左側塀際。正面「◆香舎壽蔵碑」。碑は生前の寛政8年(1796)に建てられたものと記してあるが、なぜ天台宗の天王寺に浄土宗の僧の碑があるのだろうか。公遵法親王に関係があるのかも知れない。