高橋お伝(たかはしおでん)    嘉永2年〜明治12年1月31日(1849-1879)

    毒婦。父、高橋清吉(長女)。14歳で結婚。らい病に罹った前夫の浪之助を毒殺し逃亡、悪事を重ねる。明治9年(1876)情夫の古着屋後藤吉蔵をだまして浅草蔵前の旅館で殺害し200両を奪って逃亡。明治12年(1879)斬首刑となる。しかし、実際は前夫が罹病し生活が困窮したため、売春をして生活費と治療費を稼ぎ、夫は病死したらしい。話しをセンセーショナルに誇張したものと思われる。「高橋阿伝夜叉譚」を著わした仮名垣魯文が賛同者を募り、3回忌に招魂碑を建てた。河竹黙阿弥の「つずり合於伝仮名書」を芝居にして新富座で上演し大当たりをしたため、碑建立の賛同者名に役者が多いのは、このため。

碑は、谷中霊園 甲2号1側。さくら通りに面する。南千住回向院に墓がある。写真の賛同者名は一部である。建主小川市太郎としているが、はたして実在の人物か、邦枝完二の小説に出てくる人物か、仮名垣魯文のジョークなのか。また、根府川の石に辞世の句「しばらくも 望みなき世にあらむより 渡しいそぐや三津の河守」とあるが、作者不詳(仮名垣魯文かも)。