仮名垣魯文(かながきろぶん) 文政12年1月6日〜明治27年11月8日(1829-1894)
幕末と明治初期の小説家、新聞記者。本名、野崎文蔵。江戸出身。幼くして奉公に出て、細木香以の影響を受け戯作に興味をもち、のち花笠文京に入門し戯作となる。魯文は、自分を「猫々道人」と呼ぶなどの猫好きであった。万延元年(1860)に十返舎一九の「東海道中膝栗毛」を倣い、横浜の異国風俗を盛り込んだ「滑稽富士詣」を発表。弥次・喜多の孫がロンドンの万国博覧会見物に行く「西洋道中膝栗毛」(1870)、当時流行の牛鍋屋に集まる人たちの浮世談義を描いた「安愚楽鍋」(1871)、明治8年(1875)「仮名読(かなよみ)新聞」を創刊、「高橋お伝夜叉物語」などで作家的地位を確立し、開花期の風俗小説で売れっ子となった。妹に産医家の野崎延里がいる。
※ 辞世: こゝちよく寝たらそのまゝ置炬燵いけし炭団の灰となるまで
墓は、永久寺(谷中4)。山門入り右すぐ。「山猫めをと塚」は左すぐ。「仏骨庵独魯草文居士」。