永久寺(えいきゅうじ)/永久禅寺    創建:明和5年(1768)

場所:台東区谷中4-2-37
アクセス:千代田線千駄木駅の団子坂交差点を三崎(さんさき)坂方面に約400m上る。三崎坂をほぼ上がりきる辺りの左側。

    曹洞宗。興福山。玉林寺の末寺。江戸時代初期の創建。
     仮名垣魯文(かながきろぶん)の墓がある。墓石には板碑の中でも珍しい「聖観音」を彫刻したもので、自然石に嵌め込まれている。板碑の大きさは77cmX34cm。この墓石に向かって左側面に「遺言本来空、財産無一物、俗名仮名垣魯文」、右側面に「韓人金玉均書、仏骨庵独魯草文」と彫られている。故人の遺訓だという。この板碑は下部が欠落していて銘文がないが、室町時代の作と推定されている。「聖観音」図は、輪光の頭上に華やかな宝冠を頂き、ふくよかな顔、柔らかい肩の線、ひるがえる天衣、左手に蓮華を持ち、右手の指が軽く花弁に触れる図である。





     猫好きの魯文にちなむ「山猫めおと塚」がある。高さ約1.3mの自然石である。明治14年10月に建てられた。魯文は、親友の榎本武揚(えのもとたけあき)からもらった山猫雌雄が死んでしまったときに、この塚を建てた。塚の文字は、太政官記事御用の「東京日日新聞」の主筆であった福地桜痴。裏には、下記のように記されている。
榎本武揚君嘗賜雌雄山猫千猫々道人
魯翁 該猫病而薨矣 茲贈標石一柱
聊表追悼之意 嗚呼 桂州書
以下、賛同者名は省略。



魯文の「猫塔記念碑」というものがある。灯籠のようでもあり、五輪塔のようでもあるが、どちらでもない。縦横40cmの四角い石の三方に丸い穴を空け、蓮華状の台座とつぼみ形の石を載せたもので、穴には猫を入れたという。明治11年7月に東両国の中村楼で「珍猫百覧会」を開き盛況裏に終わり、その利益でこの記念碑が建てられたもの。



地藏さんの頭上に一円玉がある一円地蔵がある。昭和45年(1970)9月4日の建立である。高さは、1.5m。光背は舟形で、上部中央に通貨の一円玉が大きく刻まれている。一円は日本の通貨の基本であるが、当時一円玉は使い道がなく大切にされていなかった。そこで、当寺の住職が発起人となり一円玉に仏の慈悲を願い仏性の活力を願って、600の檀信徒に呼びかけ一円玉奉納となった。寄付は順調に進み建立が実現した。





このほかに「猫塚碑」というものがある。タヌキに似るが猫の顔が彫ってある。なにやら長ったらしい文章が書いてあるが、現物を読んでいただきた。

   上野戦争は、西郷銅像近くにあった黒門の戦いばかりでなく、お山へ入る八つの門においても戦いがあり、北の谷中門近くで、彰義隊が立て籠もった永久寺や、その周辺でも戦闘が行なわれた。彰義隊が敗走するときに、そこが官軍の拠点になることを恐れて町に放し、当時の永久寺も焼けた。塀の上にはイワガラミが絡んでいて夏に咲く。ガクアジサイに似るが飾り花の花びらが1枚だけ。