榎本武揚(えのもとたけあき) 天保7年〜明治41年(1836-1908)
明治時代の政治家、幕府海軍の重鎮。子爵。江戸生まれ。名、釜次郎。西丸徒目付の二男。昌平坂学問所で学び、樺太探検に参加、長崎海軍伝習所生となり、文久2年(1862)オランダに留学、慶応2年(1866)幕府注文の開陽丸とともに帰国し、幕府海軍副総裁となる。明治1年(1868)に政府軍が江戸を占領(戊辰戦争)した際、政府軍への軍艦引渡しを拒否し、全艦隊をひきいて箱館(函館)に脱走、「蝦夷共和国」樹立を宣言した。函館五稜郭にたってこもり、元新撰組の土方歳三、永井尚志、高松凌雲らと共に戦ったが明治2年(1869)に新政府軍に降伏した。明治5年(1872)に特赦され北海道開拓使を命ぜられる。その後駐ロシア公使として樺太千島交換条約を締結、天津条約を締結などの功績がある。