江戸後期の公卿・安政勤王八十八延臣の一人。名、保実。父、権中納言高松公祐(三男)。養父、正三位高松秀実。文政13年(1830)元服の昇殿を許され備中守。院(光格上皇)判官代。嘉永6年(1853)大膳太夫。安政5年(1858)年12月19日叙従三位。文久2年(1862)正三位。52歳時右近衛少将・非参議。この間、安政5年(1858)外交措置に関して幕府と折衝するため、上書して自ら関東に赴くことを請願。また、日米通商条約勅許阻止のため、有志公家88卿に加わり、文久3年(1863)には、幕府の上奏した攘夷期限に関する朝幕間評議の大要を明示すべきことを有し公家60余卿と共に上書した。高松家は権大納言武者小路実陰の子参議重季を祖とし、保実は5世代目。上京第22区寺町通丸太町上ル松蔭町18番地高松保実邸があった。子に高松実村。62歳。