高田釜吉(たかたかまきち) 明治9年〜昭和32年1月26日(1876-1967)
「高田商会」2代目社長。父、「天下の糸平」と呼ばれた実業家田中平八(三男)。明治25年(1892)ドイツに留学し、
ベルリン工科大学で機械工学を学ぶ。明治34年(1901)に帰国し、芝浦製作所に入社。ついで、東京電灯(東京電力)にスカウトされ、技術部副部長となる。高田慎蔵が見込んで二女雪子の婿養子とする。明治42年(1909)「高田商会」副社長。大正元年(1912)社長。欧州の戦争特需で潤い、「明治大正の三大商会」と言われるほどになったが、大正12年(1923)工場が全焼、同9月の関東大震災で大きな損失を出し、ついに大正14年(1925)2月21日破綻し休業となる。82歳。マルチタレント高田万由子の曾祖父にあたる。
墓は、谷中霊園 乙7号甲3側。正面「高田釜吉/同 雪 之墓」。「高雲院宝寿吉祥居士」。釜吉の外孫で「高田商会」3代目社長で高田万由子の父、高田祐一(平成16年10月没)も合祀。