高田慎蔵(たかだしんぞう) 嘉永5年〜大正10年12月26日(1852-1921)
「高田商会」創業者。父、旧幕府佐渡奉行支配地役人組頭天野孫三郎(三男)。新潟県佐渡相川出身。父の同僚高田太郎兵衛の養子。慶応元年(1865)14歳で佐渡奉行に出仕、公事方秘書役。明治元年(1868)佐渡民政庁から相川鉱山調役。明治2年(1869)佐渡夷港開港場運上所下調役通弁見習。のち佐渡県外務調査役兼通訳となる。明治3年(1870)英語の必要性を痛感、上京して築地の英国人ミカエル ベアの経営する「アーレンス商会」に通弁兼事務官として入社。明治11年(1878)同社を退社し、ドイツ名誉領事ベルーの「ベルー社」に入社。明治13年(1880)ベルー社廃業を受け、明治14年(1881)貿易の黎明期に高田慎蔵が東京市京橋区に各種機械・船舶・車両・兵器等の輸入を目的とする「高田商会」を創立した(神田鍛冶町に現存している)。事業を漸次拡大し、ニューヨーク・ロンドンに支店を設ける。明治29年(1896)再び欧米を巡遊。日清・日露の両戦争では、軍需品を納め功績をあげた。明治41年(1908)大博覧会評議員・東洋拓殖設立委員。大正8年(1919)引退し、婿養子高田釜蔵に託す。高野山宝物館設立の初期発起人の一人。東京都文京区本郷湯島三組町の高田慎蔵邸・高田商会本店(麹町)・別邸(赤坂表町)は、明治33年(1900)に東京国立博物館や岩崎弥太郎邸などを建てたジョサイア・コンドルが建てたもの。夫人は、たみ子。マルチタレントの高田万由子の高祖父にあたる。
※ 高田慎蔵→高田雪子(釜吉)→高田愛子→高田祐一→高田万由子
また、ミカエル ベアと荒井ロクとの間に生まれた、照子を、ベアが帰国する前に養女とした。そして、照子は、原田一道の子原田豊吉と結婚した。
墓は、谷中霊園乙7号甲3側。「徳寿院殿心月浄照居士」。