田中節三郎(たなかせつさぶろう) 慶応元年〜明治36年11月21日(1865-1903)
植物学者。旧姓、後藤節三郎。越後国北蒲原郡出身。明治15年(1882)駒場農業学校普通農学科卒業。明治18年(1885)同校農業本科卒業。引き続き同校研究科にて1年間農芸科学分析を学び、明治19年(1886)同校助教授となる。この間、明治18年(1885)田中芳男の養子となり、その長女奈津子(昭和5年12月16日没、59歳)を娶る。農商務省に出仕し、農業試験場技手など6年間勤務した後、明治25年(1892)農科大学助教授。明治28年(1895)作物学講座を受け持つ。これは、日本での作物学講座の始祖となった。帝国博物館農品監理。渡米。内国勧業博覧会審査官。36歳。著書:「栽培各論」。
墓は、谷中霊園 乙8号10側。田中芳男と同墓域内。正面「農学士田中節三郎/配奈津 墓」。