鄭永邦(ていえいほう)    文久2年12月28日〜大正5年8月20日(1862-1916)

    外交官。父、鄭永寧(三男)。兄、鄭永昌(1856-1931)。長崎出身。東京外語学校卒業。明治13年(1880)北京公使館通訳見習い。中国語に優れ、永く北京公使館書記官として在任。明治15年(1882)刊行の中国語テキスト「官話指南」を呉啓太と共著。明治18年(1885)公使館御用掛として伊藤博文全権大使の北京談判第2回会議を通訳。日清戦争に従軍。明治29年(1896)清国勤務。明治33年(1900)の北清事変には、北京公使館を守り一切の交渉に当たる。明治38年(1905)小村寿太郎を助け北京条約締結に尽力。明治39年(1906)英国の大使館2等書記官。明治44年(1911)再び北京公使館勤務。大正2年(1913)辞職。55歳。

墓は、谷中霊園乙4号11側。「鄭家之墓」に合祀。