天璋院(てんしょういん)/篤姫/島津篤子/近衛敬子 天保6年12月19日〜明治16年11月20日(1836-1883)
江戸幕府13代将軍徳川家定の御台所(継継室。父、薩摩国(鹿児島県)藩主島津家流の今和泉領主島津忠剛。鹿児島出身。幼名、一(かつ)。嘉永6年(1853)薩摩藩主島津斉彬の養女となり篤子(あつこ)と改名、江戸藩邸に移る。安政3年(1856)篤姫(20歳)は右大臣近衛忠煕の養女となり敬子(すみこ)と改名。素直には入奥できなかったが、一ツ橋派の阿部老中から許可が出て同年11月には家定の正室として大奥へ入る。家定は病気で言葉も不明瞭で、正室も既に二人亡くしている。斉彬は、慶喜を将軍とするために篤子を徳川家へ嫁がせた。しかし、安政5年(1858)7月に斉彬、8月に家定が急死し、14代将軍には徳川家茂が就任したため、篤子は目的を果たせず23歳で落飾し「天璋院」と名乗る。江戸城開城後は、位記を取り上げられ一橋家に移る。家名を相続した幼年の家達の養育に尽くす。48歳。
墓は、寛永寺 二のお霊屋。側に好物のビワの木が植えられている。「天璋院殿敬順貞静大姉」。夫と墓碑を並べている正室は、数少ない。