徳山樗堂(とくやまちょどう)/徳山純(とくやますみ)    天保13年〜明治9年6月6日(1842-1876)

    漢詩人。名、純。字、公束。姓、東出のち徳山。福井県出身。官史・司法権大録。山陽道を行脚中、倉敷で客死。作詞多数。35歳。

墓は、谷中霊園 甲9号3側(飛び地)。正面「徳山家」。幕末の書家関雪江書・広群鶴刻の碑があり自然石で漢詩と来歴が書かれている。反対側にある「徳山淑子之墓」は、樗堂の妻。