富岡英之助(とみおかえいのすけ)     文政12年12月18日〜明治27年10月13日(1829-1894)

    秋田藩士。高須治助の父。名、庸。通称、英之助。下谷三絃掘秋田候の邸にて生まれる。台東区出身。14歳で初出仕。明治14年(1881)11月職を辞し、本荘亀沢に住む。65歳。長男、富岡海蔵。二男、高須治助。

※ 高須治助: 明治6年(1873)14歳で秋田藩医高須松亭(保)の養子となる。明治8年(1875)東京外国語学校露西亜語科に入学。「函館繁昌記」の著者。富岡英之助は、この出版人。

墓は、谷中霊園 甲8号19側。「本覚院悟法明道居士」。自撰・富岡海蔵識書の碑がある。函館で没した富岡海蔵(文政2年9月23日〜明治28年10月20日)墓もある。