高須保(たかすたもつ)/高須松亭(たかすしょうてい)    文化11年10月10日〜明治35年8月12日(1814-1902)

    蘭学者。佐竹藩侍医。備前(岡山県)出身。旧姓、光岡。名、茂貞。字、子堅。通称、保。号、松亭。父、備前の商人光岡万次郎(三男)。養父、高須松斎。天保5年(1834)江戸にて坪井信道に師事。弘化3年(1846)幕府の蕃書和解(ばんしょわげ)御用に出仕。蝦夷地御用となるが安政2年(1855)辞退し、佐竹藩藩医となる。安政4年(1857)種痘所創立に拠金。維新後は、東京で開業する。明治6年(1873)高須治助を養子とする。著編:「日本風俗備考」。89歳。

墓は、乙9号8側。高須松斎と同域内。正面「高須保之墓/高須熊之墓」。高須熊は、佐竹藩侍医。