伴野乙弥(とものおとや/ばんのおとや) 慶応3年〜昭和20年12月8日(1867-1945)
水戸鉄道社長・日本興業銀行設立時理事。父、伴野三司(1828?-1893)(二男)。東京出身。明治16年(1883)東京府中学校(都立日比谷高等学校)卒業。日銀小樽出張所長。営業部第二課長。十五銀行支配人。水戸鉄道(のちの日本鉄道)社長。設立時の日本興業銀行理事兼営業第一部長。同監査役等歴任。西脇銀行・大正生命監査役。生気嶺粘土石炭取締役。79歳。妻操は、兵庫県住友銀行専務八代則彦の妹。長男、清。
墓は、天王寺墓地。玉乃世履墓後ろ辺り。正面「伴野乙彌墓/伴野操墓」。「自彊院殿篤実乙彌日朗居士」。伴野三司墓も隣りにある。