遠山景高(とおやまかげたか)    文化10年〜慶応2年12月6日(1813-1866)

    浦賀奉行・遠山家第12代当主。安芸守。父、明智頼典(三男)。第11代明智遠山直景の後を継ぎ、岐阜明智城主となる。江戸出身。文政12年(1829)養父景珍(かげはる)の家督を継ぎ、天保14年(1843)浦賀奉行となる。弘化4年(1847)大坂在番、のち大番頭。54歳。後継は、13代遠山景福(かげよし)
遠山家は、戦国時代にはじまり、その後7つの遠山家に分かれ、その一つが明智遠山家。そのいずれかから分家して、6代目が、遠山影元、つまり、時代劇でなじみの遠山金四郎。
遠山景好→景義→景信→景好→景普→景元→景纂→景影→景之→景档

墓は、南泉寺墓地(西日暮里3-8-3)。墓地高台の最奥。「龍徳院殿前芸州大守乾外萬雄大居士」。